翻刻
【二十七頁右】
たり・又明朝へも貢をいれて・交易することすでに年あり・
いにしへ天孫氏の代のうち・陏(ずいの)【隋の誤りではなく「ずゐ」の音が同じなので仮借として用いているのでは。『大漢和辞典』で「陏」に国名と有り。】煬帝(やうだい)太業(たいぎやう)三年《割書:推古天皇十五|年丁卯にあたる》
よりしてしば〳〵来服(らいふく)すへきよしを申来れとも・あえて
したがはさりしかば・同六年陏 の兵舩(へいせん)・數万艘(すまんぞう)・海上(かいしやう)にはかに
陸地(くがち)の如く・蜄𣱛(しんき)【「𣱛」は「氣」の古字】此ところに・乾闥婆城(けんだつばじやう)をはき出せるれと・
あやしまれしほとの大軍・たゝちに首里にせめ入て・王をさし
ころし・忠臣(ちうしん)義士(ぎし)・こと〴〵く討死(うちじに)せしよしなりしが・其のち・貴(き)
国(こく)の爲朝公の御子・舜天王より四代をへて・英祖王の時・元(げん)の
至元(しげん)年中・《割書:建武|年中》又もや・軍舩(げんせん)数万(すまん)よせ来たりしが・もはや
我国にても・貴国の武威(ぶゐ)に傳習(でんしう)せしかば・鎮護嚴緊(ちんごげんきん)
【二十七頁左】
にして・やはかあだに上陸はさせずして・追(おい)かえせしかとも・元貞(げんてい)《割書:永仁|の頃》
のはじめまで・しば〳〵海濱(かいひん)をおかされ・一日も安堵(あんど)のおもひを
なさゝりしが・つゐにしたがはさりしに・元の代すでにほろ
びて・明(みん)の太祖(たいそ)の代となりければ・洪武(こうぶ)のはじめ・行人(こうじん)を使(つかひ)
として・とほきをしたしむのこゝろざし・あつかりしかば・
時の王は舜天王をさること九代にして・察度王とて・賢德(けんとく)いみ
じかりしかば・大国によしみなきは・後代のうれひ也とて・
これよりはじめてかの国へも往来し・王の従子(じうし)等(ら)の人々・
漢學(うちまなび)にも参られしかば・《割書:洪武|廿五》閩といふ所の人・三十六人をたま
ものとしておくれり・その子孫今に久米の南門村に居(お)れり