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コレクション: 養蚕の書

蚕養御由来記 - 翻刻

蚕養御由来記 - ページ 5

ページ: 5

翻刻

求め難きをも求め得安きを得ざる事は近きを捨て遠きを とらんとするに似たり大方世の事は是に得れば彼に失ふ事 而已多かるへし夫蚕は元来天地/間最(かんさい)の第一なり年毎に 心を尽(つく)すといへ共其道にくらくして螻蟻(ろうぎ)の譏(そしり)を受ん事 久しからんや空しく過行なん事を悔み予が往年より 蚕多き諸州の郷里を巡(めぐ)り扶桑蚕来の由来を流布 し給ふならん能々(よく〳〵)熟覧(じゆくらん)し玉ひて婦女へも教へ 給はゞよしなき忌(いみ)事にも迷(まよ)はず是までの過(あやま)ちを 悔んで疎(をろそか)に蚕を扱(あつか)ふ事なからん哉    扶桑蚕来御縁起 【上部に「特1ー594」とあり】 抑我朝は天神七代地神五代迄は人皇なかりき然るに地神五代 鵜萱不葺合尊(うがやふきあわせずのみこと)の御宇に人皇始めて出来給ふ神武天皇是也 夫より三十代に当らせ給欽明天皇の御宇に蚕養始めて 起る其由来を委敷尋るに天竺国より下り給ふと云なり 西域記に曰羅什三蔵と云僧/震旦(しんたん)ゟ天竺に渡り給て道法 其外所々を記し給ふといへ共爰に略す南閻浮提(なんゑんぶだい)を四ッに わけて西は波羅にし【注】東は震旦南は五天竺なり其北に当りて 旧仲国(きうちうこく)と云国の主(あるじ)なりし元祖/転王(てんあふ)と申奉るなり夫より 田主王真実王転輪王と王法相続きて霖夷(りんい)大王也是ゟ 【注 「にし」は「にして」ヵ又は「尼斯」ヵ】