賀茂社関係文書翻刻プロジェクト

コレクション: 賀茂社記録

賀茂社記録. 第69冊 - 翻刻

賀茂社記録. 第69冊 - ページ 97

ページ: 97

翻刻

一統鷹司殿ヘ為恐悦追々参上熨斗目麻上下予経紀経啓等昨日 令参上了 十七日己酉曇入夜雨経寛密子欽之助事今出川 ニ条様前菓子屋之 幸助と申者世話ニ而同人子ニ致し又方東九條村田中友吉と申者方へ 不通養子ニ遣云〻右友吉四十五才妻哥三十五才也右ニ付保子義午 時ゟ藤木方へ参申半刻帰宅了 十八日庚戌曇後雨来ル廿一日廿二日育人中御田楽奏進ニ付當日祝詞 師可参勤旨觸有之御家門御用繁に付断両日逞清方へ代勤 相頼了 廿日壬子晴昨十九日三雲中書死去披露申来今日十念寺へ葬送 也見送名代辻花善兵衛遣酉刻堀川中立売下ル宅ゟ出棺也 尤焼香申付遣了 廿三日乙卯晴亀君御方今日御里開巳刻御城也 午刻御嫁後 初而関白殿左大将殿御成御方々え被進物品々有之御祝御料理 二汁七菜御祝酒御吸物七ツ御肴十種其余嶋臺鯛貝等生 作り水物御蒸菓子等被進且左大将殿へ為御引出物彼平御郷 差一腰其外御方々江品々被進御内諸大夫え金三百疋ツヽ侍列に金弐百疋 ツ御近習へ金百五拾疋ツヽ中小性へ金百疋ツヽ青士方へ南鐐一片ツヽ其以下 下部迄も被下有之但右ハ左大将殿亀君御方より被下也外二関白殿ゟ 一統ヘ銀三枚政所御方より銀弐枚同断被下之入夜 大納言殿ゟ 御所望ニ付御囃子三番被為在弓八幡高橋兵部少輔東北左大将殿 芦刈関白殿被遊亥刻斗御三方共還御後御近習以上大夫迄 於 御前御酒被下子刻開座各恐悦申上退下了 廿七日己未雨後晴節分也御家門御祝如例各取歳祖母八十四才

現代語訳

一統が鷹司殿へ恐悦のため追々参上した。熨斗目麻上下を着用。予、経紀、経啓等は昨日参上を済ませた。 十七日己酉 曇、入夜雨 経寛の密子欽之助の件について、今出川二条様前の菓子屋の幸助という者の世話により同人の子とし、また一方では東九条村の田中友吉という者の方へ不通養子に遣わすとのこと。右の友吉は四十五歳、妻のかは三十五歳である。これについて保子の件で午の時から藤木方へ参り、半刻で帰宅した。 十八日庚戌 曇後雨 来る二十一日二十二日に育人中が御田楽を奏進するにつき、当日祝詞師が参勤すべき旨の触れがあった。御家門の御用が繁多につき断り、両日とも逞清方へ代勤を相頼んだ。 二十日壬子 晴 昨十九日、三雲中書死去の披露が申し来た。今日十念寺へ葬送である。見送りの名代として辻花善兵衛を遣わした。酉の刻、堀川中立売下る宅から出棺である。もちろん焼香も申し付けて遣わした。 二十三日乙卯 晴 亀君御方が今日御里開きされ、巳の刻に御帰城された。午の刻、御嫁後初めて関白殿、左大将殿が御成りになり、御方々へ進物品々があった。御祝いの御料理は二汁七菜、御祝酒、御吸物七つ、御肴十種、その他島台、鯛、貝等の生作り、水物、御蒸菓子等が進められた。また左大将殿へは御引出物として彼平の御郷差一腰、その外御方々へ品々が進められた。御内の諸大夫へは金三百疋ずつ、侍列には金二百疋ずつ、御近習へは金百五十疋ずつ、中小性へは金百疋ずつ、青士方へは南鐐一片ずつ、その以下下部まで下された。ただし右は左大将殿が亀君御方より下されたものである。外に関白殿からは一統へ銀三枚、政所御方からは銀二枚、同様に下された。入夜、大納言殿からの御所望により御囃子三番が行われた。弓八幡は高橋兵部少輔、東北は左大将殿、芦刈は関白殿が演じられた。亥の刻頃、御三方共に還御の後、御近習以上大夫まで御前において御酒が下され、子の刻に開座し、各々恐悦申し上げて退下した。 二十七日己未 雨後晴 節分である 御家門の御祝いは例の如く、各々歳を取る。祖母八十四歳