翻刻
【右丁】
【句点と思われる「・」を「。」にす。】
を荊州の太守(たいしゆ)とす。呉(ご)の孫権(そんけん)荊州を取らんため初め妹を餌(えば)とし
玄徳を呼寄(よびよせ)しに。母(ぼ)公の怒(いか)りゆへ実(じつ)の婿【聟は俗字】とし終(つい)に計 不成(ならず)今関羽
を呼寄せ。帷幕(いばく)のかげに精兵を伏せ置。忽(たちまち)に殺さん若大勢に
て来らば。呂蒙(りよもう)甘寧(かんねい)鉄炮(てつほう)を相図とし一 度(ど)に打出。こと〴〵く討(うつ)べしと
陸口(りくこう)の塞外(さいぐはい)臨江亭(りんこうてい)に会宴(くはいえん)を設(もふ)け。書簡(しよかん)を調へ。荊州へ使を遣(つかは)
しけり。関羽書簡を見て。其使に明日必ず行んと云ければ。関平が曰。
魯粛(ろしゆく)が会宴は必ず悪心あらん父千 金(きん)の重(おも)き御身を軽(かる)〴〵し
く虎狼(こらう)の穴に陥(おと)し給ふな。関羽が曰。吾(われ)これを知まじきか。陸口に
兵(へい)を伏置き。擒(とりこ)にして荊州を求(もとめ)んためなり。行ずんば臆(おく)せるに似(に)た
り。馬良(ばりやう)諫(いさめ)て曰軽〳〵しく行給ふな。関羽が曰 豈(あに)呉の国の鼠どもを
怖(おそれ)んや。むかし春秋の時。趙(てう)の国に藺(りん)相如(しやうじよ)と云し人は。鶏(にはとり)を縛(つな)ぐ計
の力もなくして。澠池(めんち)の会(くはい)に秦(しん)の国の君臣を小児のごとくせり。吾
万人の敵(てき)を学(まな)ぶ。既(すで)に行んと云て行すんば是 信(しん)にそむくなり。
馬良が曰。行給ふとも宜く用心し給ふべし。関羽が曰関平に船手(ふなて)
【左丁】
の精兵五百人と早船(はやふね)十 艘(さう)此 方(かた)の岸(きし)に待(また)せ置き若(もし)旗(はた)を以て
まねくを見ば早く舟を飛(とば)して来るべし。関平 父(ちゝ)の命(めい)にしたがい。兵を揃(そろへ)
へ【衍】て北の岸に出(いで)ければ。関羽八十二斤の青 龍刀(りうたう)を周倉(しうたう)に持せ江(え)
を渡る。魯粛(ろしゆく)次(つぎ)の日人を出し見せしむるに。紅(くれない)の旗(はた)に関の字(じ)書(かき)たる舟
既(すで)に岸に着(つき)けり。関羽 緑(みどり)の袍(ひたゝれ)を着(き)て。周倉(しうさう)とて面は蛟(みつち)のごとく成(なる)
千斤を上る大刀。青龍の大 薙刀(なぎなた)を執(とり)て相 続(つゝい)て。躍(おどり)り【衍】上りしかば。
魯粛出 迎(むか)へ礼(れい)を施(ほどこ)し引て臨江亭(りんこうてい)に入り。魯粛 拝伏(はいふく)して仰(あふぎ)
見ること能(あた)はず。酒 半酣(はんかん)に至て魯粛が曰。昔(むかし)劉皇叔(りうくわうしゆく)曹操(そう〳〵)
に攻(せめ)破(やぶ)られ。計(はかりこと)窮(きはま)り。勢(いきをい)尽(つき)し時。我(わが)主人孫権 国(くに)の費(つい)へ民の
労(らう)を思はず。大軍を発(おこ)し。其 憂(うれい)を救(すく)ひし時の約束(やくそく)にそむき。
今 蜀(しよく)の四十一州を取ながら。荊州(けいじう)を渡し給はず。枉(まげ)て併(あは)せ領(れうぜ)ん
とし玉ふ。関羽が曰。是みな兄(このかみ)のことなり。某(それがし)が知る処にあらず。魯(ろ)
粛が曰 昔(むかし)桃園(とうえん)に義(ぎ)を結(むす)んで。共に生死の交(まじは)りを誓(ちか)ひ玉ふ。
然る時は劉皇叔は即(すなは)ち足下なり。何(なに)ゆへ知(しる)処にあらずと宣(のたま)ふ