翻刻
【上の資料】
夫人として
孝なきは人に
あらず江戸
出火ときかは
遠国他国の
親兄弟いか斗あんし
たらんやはやくもその
親たちにしらせてあんしん
させへきこと也頃は嘉永五
子年正月四日朝五ツ半
ころより両国米沢丁
辺より出火致し同新道
両かは同うら通りやけん
堀此所三番組消夫より
よこ道丁三丁め南かは
同新道表通り角二番
組けしとめはくろ町
四丁目やける此所火松平
丹波守様御組御□□
此時よう〳〵火
しつまり人〳〵
安堵思をなせしは
其□□夕七ツ
半時なり
【下の資料】
頃は嘉永五年□【十一?】月
十九日夜九ツ時丼いけ
すじ南久宝寺町
三丁目より出火して
折しも西風はげ
しく心さい橋筋へ
やけ出せんだんの木
すし久太郎町金や
丁中ばしすじ
なにはばし筋堺
すばかぢやばし
すじ夫より久宝
寺ばしわきにて
翌廿日九ツ時やう
〳〵にして鎮火い
たし諸人あんど
の思ひをなすなり
尤東西ともに
本願寺はやけ
のこるなり
【下の資料・左下欄外】
平野町筋淀屋橋西へ入 金井屋安兵衛板