伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(六) - 翻刻

藩翰譜(六) - ページ 41

ページ: 41

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【右丁】 再ひ軍起りしには勝成と共に大和路より向ッて道明寺 に戦ひ明れは七日天王寺の戦に首十九を切て献る寛永 の初に御書院番の頭になされ叙爵して式部少輔に 任す《割書:諸役人系図を按するに寛永九年五月松平伊賀守御書院番一番|の頭となるその跡丹羽式部少輔そのあとは寛永十五年十二月朔日》 《割書:青山因幡守を以補せらるゝと云々丹羽此後を仰付られし|年月日をもらす寛永の日記にて年月日を書す》同き十五年 美濃国岩村の城を賜ふ《割書:二万|石》其子式部少輔父につき《割書:氏信か|卒せし》 《割書:年月日いまたつま|ひらかにしらず》明暦三年四月十六日卒す四十四歳その 子式部少輔氏綱つく延宝二年十月廿七日年三十八才 にして卒しその子勘介氏尾家を継く《割書:後には|長門守》 【左丁】    山口 修理亮多々良重政は先祖遠く異国より出る百済国王 東明八代の孫王余障第三の王子琳聖唐兵の乱をさけて 本朝推古天皇十九年に当て周防の国佐波郡鞠生の 浦多々良の 浜に来り 止る《割書:琳聖王子卒して周防の国吉敷|郡御堀の庄に葬る今の南明山》 《割書:宗【ママ】福寺の地|これなりと云》王子七代の後長門守正恒か時《割書:新編纂図に|出ッしかるに家の》 《割書:系図には正恒を以て王子にかけて|その事を注すふしん》朝廷はしめて彼先祖来住せら れる地の名に依て多々良朝臣の姓を賜ひみつから大内と 名のる《割書:按るに 新撰姓氏録【禄】に多々良公は御間名の国の王尓利久|牟王より出て 欽明天皇の御世に 地して金の多々》 《割書:利金の牟居を献る天皇ほめたまひ多々良を|賜ふと云家の伝ふる所に異るるに似たり》正恒十七代の