伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(六) - 翻刻

藩翰譜(六) - ページ 40

ページ: 40

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【右丁】 を去て徳川殿に来りつかふ十二年の春北畠殿秀吉 朝臣と軍起る徳川殿氏次をめして汝か累代領せし 岩崎の城は尾張三河の境にて要害の所なれはすみやかに 馳向て守るへしと仰けれは氏次本領に帰る城かまへて 舎弟次郎助氏重に軍勢つけて守らせ我身は 小牧山の御陣にこそ参りけれ同き四月九日の朝 池田紀伊入道勝入まつ岩崎の城をせむ多勢に無勢 かなはすして氏重うたれて城おちぬ氏次此ほとりの 案内者なりしかは徳川殿の先陣し長湫のほとりに 馳向ひ上方の多勢をうち やふつて 池田父子を初と 【左丁】 として多くの敵うたれにけり同き六月蟹江の城に むかひ外城を攻やふり手の者多く疵かうふる《割書:出丸二ッ|を落す》 ほとなく氏次ふたゝひ 北畠殿につかへて 伊勢の国 にして所領を賜ひ《割書:七千|石》同十八年信雄卿流されたま ひし後徳川殿につかへ関東へ移給ひし時 武蔵の国にて 所領を賜ひ《割書:三千|石》関ヶ原の合戦には海道よりむかつて 徳川殿の先陣をかたむことしの冬三河の国伊保の地を 賜て《割書:一万|石》明れは慶長六年三月十九日年五十三歳にて 卒す其子勘介氏信父につき大坂の軍起りし時 水野日向守勝成と同しく天王寺より押寄て城をせめ