翻刻
【右丁】
《割書:男中務少輔忠刻にそはせたまひしかは重政父子の事よくしろしめされ|折にふれて御なけきありしかは重政後にめしかへされ本領を下され》
《割書:若年寄の職に到りぬと 諸説まち〳〵なりいつれかまことなるにや|たゝし若年寄たりしといふ事は不審也そも〳〵当家に此職をかれし》
《割書:事は 大猷院殿の御時寛永十二年十月廿九日 土井遠江守 酒井|備後守を此職になされしよりはしまれり台徳院殿の御時まては》
《割書:御近習出頭人衆といふはかりありしと也 又諸役人帳を考るに|御近習出頭人衆の中にも 山口か事はみへす又重政か卒せし年月》
《割書:いつともいまた|しらず》寛永五年重政か三男長二郎弘隆四男半左衛門
重経に父か所領の地わかち賜ひ《割書:兄に一万石|弟に五千石》同九年十二月
廿三日兄弘隆但馬守同廿九日弟の重経備前守に
任す《割書:ある説に此のち松平伊豆守信綱は 井伊と山口兄弟か中直り|させんとす兄弘隆は父にて候ものか死しても猶恨もやのこる》
《割書:へき此事ゆめ〳〵かなふへからすといふ弟重経は信綱のたまふ所なり|かつ直孝は当時の重臣にておはせばとて中なをると也》
弘隆頓て近江国水口の城を守るへきよし仰蒙りて
【左丁】
かの城にある事年を経て 此職を辞し《割書:水口の御|城番と云》寛文
五年十二月廿七日修理亮にあらため延宝五年九月四日
七十五歳にして卒す嫡男長六郎重貞家を継て
修理亮に任す