翻刻
【右丁】
むかし公方慈照院殿茶の事をすかせ給ひ書画より
はしめて万の器具皆古の物を翫ひ多くあつめ
たくはへ真能《割書:童坊なり 中尾氏能阿弥といひ|また春鴨斎と号す》真芸《割書:能阿弥|か子》
《割書:芸阿弥といひ又|学叟と号す》真相《割書:芸阿弥か子相阿弥と云|鑑岳又松雪斎と号《割書:ス》》等をして茶を
点する儀則を議せらる 此時南都 称名寺の僧
珠光これも 此道のすきものにて将軍家愛し思し
めし頓て還俗させつねにそれか家へならせたまひし
《割書:六条也堀川のほとりに|珠光か家ありしと云》これよりして此風をまなふ人世にすくな
からすといへとも此後は 和泉の国界の浦の住人武野紹【沼】鷗と
いふ是其道の宗匠なり《割書:此人武田信光の後胤 初因幡守仲村と|いふそのゝち乱をさけて大黒庵一閑と号《割書:ス》》
【左丁】
それに弟子千利休《割書:先祖足利の童坊千阿弥か後|田中氏也泉州さかいの住人なり》これは織田の
右府豊臣太閤当代の御師範なり古田織部正重能
利休上足の弟子にして政一また古田か第一の門人
なりその道の事はいふに及はす手よく書歌よみ
眼高く書画古の器翫こと〳〵く其鑑定を待て
世の価を高下すされは水より出し氷藍より出る
青き色世々の先達を超過して上中下のもて
なしたとへをとるにこと葉なし其子備中守政【ママ】之
父か家をつき 父か風をのこせり其子 和泉守政延
延宝二年父か家をつぐ