キリシタン関連史料を翻刻

コレクション: コレクション1

切支丹御退治記 49巻. [4] - 翻刻

切支丹御退治記 49巻. [4] - ページ 17

ページ: 17

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別当杢左衛門覚書曰十二月八日に天草之敵共小  舩余多に乗原之城江罷越候事 島原記曰爰に時貞か父甚兵衛与云者有り冨岡  之国を出て天草郡上津浦与云所に宗門をか  たらひ居堂りけるが歳月之存念事未成就時運  不至兎やせん角や有満しと案し煩ふ所に慈  愛之四郎か許ゟ申送りける様は宗旨退治之  為とし亭松倉長門守高来之城に下着鍋島先  手之人数を唐子迄押出し関東ゟ茂 上使と  して歴々を指向けらるゝと注進日々頻にして事  難儀に及ふに依而宗旨之人々寄合評議既に一  決し亭原之古城を拵へ籠城之覚悟究地之利を  鑑み普請して兵具を調へ夫々之持口を定め申  与巨細に申送り希連は好次聞て驚宗旨之者を  集め僉議し天草宗旨之者共に当所之?地を構  て原之城を後詰に与内々用意を致しけるか冨岡  之後詰与して忠高自身向と云又細川越中守家  来之者数千之人数を催し加勢之為に向ふ候と云然  は天草中之案堵は難叶被覚ゆ連いさ四郎与  一所に原城に籠らんは如何与申けれは門徒之者