翻刻
坪数三百八拾七坪三合 余者別記委鋪して爰に略す
柱立宝永三戌年四月十六日 上棟同亥年七月朔日
入仏同八月十三日 供養同八月十五日
其余者別録に委鋪して爰に略す
是今の御堂にて諸国より参詣夥しく前代
未聞の群集にて善光寺の街はいふも更なり
近辺まても旅宿するもの多し通夜する者は
御庭に充満する事言語に難述しと云々昔時
欽明天皇の御代年号たに不定其昔日の本に
渡らせ給ひしより今弘化四年丁未まて年数百年の
大なるは普く世の人の知る処なりかゝる
旧地の霊場なれは年増日にまして繁昌し
諸国よりの奉納寄附のし□ふ〳〵善美を巻し
参詣の諸人は百里お遠しとせす老若男女は
王還の足労を不厭して爰に群集すまた
北国往来にして旅人多し御領は入交る
といへとも世俗に善光寺平と唱ふるまての見渡し
丑寅より未申へ里数十余里東西五六里にして
悉平地なり□山国なれとも遠近山中に