能登半島の資料を翻刻!

コレクション: SHOSHO「能登」

能登名跡誌 - 翻刻

能登名跡誌 - ページ 20

ページ: 20

翻刻

土佐守とて有しに社僧と論有て退転せり又当国 浦ヶ嶺観音廿二番札所は田鶴浜入口丑ヶ端といふ岡に あり昔は上の山浦ヶ嶺に有しを長連龍今の所へ移し給ふ         大津より壱里八丁本【「馬」欠落】軽尻   田鶴浜   廿六文人足廿文家数弐百軒余あり商         家おふく能村也 此村昔は長家の城下にて能き所也惣して此辺を 新部といへり則長家菩提所東嶺寺禅宗にて寺領 三十石寄附の大寺也同宗悦叟寺とて同寺領拾石也 長家の館跡は今御収納蔵屋敷になりて有則馬 場抔あり又百姓に中村屋とて長家由縁者あり 又永江平兵衛とて長家家来の筋目あり惣して此村 今も商船着て諸事運送引■の所也近郷は能 登蜜柑の名物也     今宵月見かてらに此所の船遥輩こそ     面白しとて宿の主にいさなわれ我も㴼【?】やす     らへうかれ出しに誠にくまなき月に浮ふる     舟の篝火は星の如く蛍のことし扨船中に