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ありいかにや鵜浦村にも有此所御収納蔵は長家領分の時
ゟの御蔵といへり田鶴浜ゟ飯山廿五里余あり
爰に美少年あり風雅にしてしかも才
学也即旅泊の徒然を語る事良にして
別る候日とはなりぬ少年かくも名残をお
しみけ
場■羅露か洞かあさもよひ 少年
乙島の名残りいつか扨又 ■
田鶴浜ゟ弐里弐町本馬八拾三文軽尻五十
所口 四文人足四拾弐文山道にて人家なく併も
坂なく地平也
此所口は一国の国府にして諸商売の問屋等有家数
六千軒といへ共四千軒計有町奉行支配にて一方在住
御塩奉行一方在住是は御郡破船奉行兼帯有小代官
六人町附足軽拾人山廻役四人是は宇出津山奉行の支
配也町年寄六人肝煎両人銀座壱人其外諸人多し
古き町人有中にも氷見屋何某は一子常学坊といふ者