翻刻
て七尾あり依て呼へり惣名は松の尾山といへり此浦
辺を枩尾の浦といへり外に松尾の浦といふなし定
家卿の哥はたゝ人を松尾といひかけしとあり
もし此浦の事にてもはじぬ風景也尤此所にて
はなけれとも
こぬ人をまつをの浦の夕なぎに
やくやもしほの身もこかれつゝ
又往古ゟ此枩尾の城は国府にて代々の人居城
たり仁和寛平の頃源の順といひし人代官として
居城有夫より武部の半【判?】官師澄目代として久安仁平
の頃住めり其後建武延元の頃中の院少将定清国司
として居城有永享の頃ゟ元亀天正の頃迄畠山氏
数代居城たりしに天正の末へ文禄の頃利家公能州
一国御手に入此七尾の城下を今の地へ移し所口と
改名ありて弥に能繁昌して
陰茂き枩尾の山の枩の葉の 勤文
かくともつきぬ君か万代
此勤文といひしは俳人にてすゝの海の作者也誠に