能登半島の資料を翻刻!

コレクション: SHOSHO「能登」

能登名跡誌 - 翻刻

能登名跡誌 - ページ 31

ページ: 31

翻刻

て七尾あり依て呼へり惣名は松の尾山といへり此浦 辺を枩尾の浦といへり外に松尾の浦といふなし定 家卿の哥はたゝ人を松尾といひかけしとあり もし此浦の事にてもはじぬ風景也尤此所にて はなけれとも    こぬ人をまつをの浦の夕なぎに     やくやもしほの身もこかれつゝ 又往古ゟ此枩尾の城は国府にて代々の人居城 たり仁和寛平の頃源の順といひし人代官として 居城有夫より武部の半【判?】官師澄目代として久安仁平 の頃住めり其後建武延元の頃中の院少将定清国司 として居城有永享の頃ゟ元亀天正の頃迄畠山氏 数代居城たりしに天正の末へ文禄の頃利家公能州 一国御手に入此七尾の城下を今の地へ移し所口と 改名ありて弥に能繁昌して    陰茂き枩尾の山の枩の葉の  勤文     かくともつきぬ君か万代 此勤文といひしは俳人にてすゝの海の作者也誠に