能登半島の資料を翻刻!

コレクション: SHOSHO「能登」

能登名跡誌 - 翻刻

能登名跡誌 - ページ 41

ページ: 41

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給ひしを祭り奉りし御神躰なり 又北左衛門加賀左衛門とて日像上人帰依して馬場本道寺の 開基旦那の筋目有又利家公石動山御責の時打死の塚 有又二ノ宮川とて有往来に長拾間の橋有川上は石動 山より壱筋芹川村山ゟ壱筋流て下は川尻川といふ て田鶴浜の海へ入る也 又石動山は二ノ宮ゟ壱里半登る也一国第一の高嶺也昔此 山は天より星落て石となる天漢石と号す今講堂 の前にあり開山泰澄大師養老二年登山以前は此名 ゆるきて山震動してあれしによつて石動山といへり 本社五社権現は伊須流岐比古神社是也大宮は伊弉 伊弉冉の両命也火の宮は大物命釼の宮は市木嶋 命梅の宮天目箇命也五神五社也ほ本地虚空蔵 十一面観音正観音大聖不動倶利伽羅不動の五尊也 倭漢三才図会等に出たり天智天皇勅願所養老 年中の草創開山泰澄大師は越ノ大徳とて姓は 三神越前麻生津ノ人母は伊野氏父は安角と云母 夢に白玉入懐る有_レ孕白鳳十一年六月十一日生る十四才の