能登半島の資料を翻刻!

コレクション: SHOSHO「能登」

能登名跡誌 - 翻刻

能登名跡誌 - ページ 42

ページ: 42

翻刻

冬越知峰巌洞中におゐて自ら薙髪して松 葉を食し年を積み神通を得て能登の臥に 出羽の浄定の二行者相随神護景雲元年三月十八日 遷化有八十六才迄は元亨釈書抔にあり当山開基の 事は泰澄大師天平の頃疱瘡ありて王公郷士庶民 死する者はすくなからす天子泰澄大師に勅命あつて 加持あるに其給あらた也依之大師勅定をうけて 神社仏閣建立あり石動山天平寺と号して次第に 繁栄して三百六拾四坊有しに中比衆徒越後の謙 信に与力して利家公に敵す利家公御勝利有て衆徒 の張本般若院宝達坊万蔵院の三悪僧を講堂の 前にて誅伐あり其首を芝ヶ峠といふに■首あり 夫ゟ衰微して今纔に五十八坊残りあり是も山壱里 東笊籬山といふに権現を移し奉し所にありし者 共といへり神主弐人今も大森氏は在住清水氏は今 能登郡にあり大宮坊の看司は東林院といふか兼帯する 也然といへ共世々勅願所として毎年三度の御撫物 の禁裏ゟ御納物あり同正五九月の御祈祷の札上る也