翻刻
躰伏山といふは瑩山和尚の躰の子を納し山なれは
いへり
飯山ゟ壱里拾五丁本馬四拾五文軽尻廿九文
子浦
人足弐十三文家数百八十軒計有
此浦は昔より駅にて初は志保と書し也則志乎神社たち
給ふ志保庄拾ヶ村の宗社也此村の丸屋といふもの方へ
天明年中吉有て井戸ゟ長三寸計の座像の観世音の
金仏あかり給ふ又金屋左衛門とて古き百姓有家伝の
焼薬有痛切疵によし又子浦川とて有往来長さ
七間の仮橋有源は宝達村原村より壱筋営能村ゟ壱筋
なかれて羽喰の潟へ入る也此所より氷見へ越ゆるを巡
見上使道とて往還なり昔寿永二年五月平家木
曽殿の合戦にも倶利伽羅志保の軍とあり三河守知
教抔打死は高畠ゟあなたなれと此志保は其時ゟ本駅な
りと見へたり
又萩野谷村岡部氏の十村役有又斎藤氏先年ゟ数代
在郷あり拾人ふ扶持下さる也又惣して往古此辺は入海
にてありしとて荻野嶋村萩野谷村敷波村抔の