能登半島の資料を翻刻!

コレクション: SHOSHO「能登」

能登名跡誌 - 翻刻

能登名跡誌 - ページ 53

ページ: 53

翻刻

躰伏山といふは瑩山和尚の躰の子を納し山なれは いへり       飯山ゟ壱里拾五丁本馬四拾五文軽尻廿九文  子浦       人足弐十三文家数百八十軒計有 此浦は昔より駅にて初は志保と書し也則志乎神社たち 給ふ志保庄拾ヶ村の宗社也此村の丸屋といふもの方へ 天明年中吉有て井戸ゟ長三寸計の座像の観世音の 金仏あかり給ふ又金屋左衛門とて古き百姓有家伝の 焼薬有痛切疵によし又子浦川とて有往来長さ 七間の仮橋有源は宝達村原村より壱筋営能村ゟ壱筋 なかれて羽喰の潟へ入る也此所より氷見へ越ゆるを巡 見上使道とて往還なり昔寿永二年五月平家木 曽殿の合戦にも倶利伽羅志保の軍とあり三河守知 教抔打死は高畠ゟあなたなれと此志保は其時ゟ本駅な りと見へたり 又萩野谷村岡部氏の十村役有又斎藤氏先年ゟ数代 在郷あり拾人ふ扶持下さる也又惣して往古此辺は入海 にてありしとて荻野嶋村萩野谷村敷波村抔の