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翻刻
二〇四
馬越古墳 こ村の馬越といふ処に長火塚といふ東三河第一の横穴
式古墳があります。一体この附近には古墳が到る処にありまして、
それが殆んど横穴式でありますけれども中には山上にあつて前方後
円式らしいのもあります。即ちこの東方の神社境内に一つと、それ
に隣る寺の境内には開口した横穴式のものがあり、又長楽の正八幡
宮近くには少くとも二十基以上があつたといひますがこの長火塚程
大規模のものはありません。そして又紺屋谷の七ツ塚といひまして
もとは附近に七ツの古墳があつたさうですが今はこれが一つだけで
それも巳【已の誤植か】に開口して何物も残つてゐませんし記録もありませんが、
現存せる羨道部の入口から奥壁までは四十尺に近く、玄室の高さ十
尺以上といふ豪勢さです。
尚この方面には歴史上重要な慶長以前の金石文も数点あり、棟札
などは実によく保存されて其数は百点を下らぬといひますけれど
も、研究が浅いので言及する事を避け、次は渥美郡の内二川町方
面の事を申上げる事に致します。
東海道線豊橋駅から東へ二川駅迄の間、これを高師原と云ひまし
て昔文覚上人が院宣を乞ひに都へ上りました時、高師の荘司といふ
追剥ぎの為に裸にされたといふその原ですが、事実はどうか分りま
せん。街道は殆んど並木続きで昔の面影が多分に残つて居ります。
岩屋山 は二川町の西方にあり、一ヶの大岩塊でありまして其
岩上に南面して観音様の立つて居るのが汽車の窓からよく見えます
吉田の俳人古市木朶は
「かすむ日や街道一のたちほとけ」
と咏んで居ります。此処には大岩屋の窟堂とて天平二年行基の開
二〇五