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翻刻
二〇六
創と伝へる寺がありまして、曽て吉田の城主でありました池田輝政
の後裔、綱政が非常に信仰して絵馬や水盤、経文など度々寄附して
居ります。伝説ではその綱政が宝永四年の秋江戸から帰る途中、白
須賀の宿に泊りました。其頃白須賀の宿は台地の下海岸近くにあり
ましたが、其夜観音様が網政の夢枕に現はれ、早く此地を立退けと
教へられました。そこで綱政は夜中にも拘はらず供揃へしまして、
二川宿へ向け台地を登つたとき、下では突然ツナミが起つたのです
不思儀に命拾ひしました綱政は、其御礼に金の灯籠を献納したと
いふのですが、実はそれは白須賀蔵法寺の観音様であつて、使者が
誤つて此寺に納めてしまつたその申訳に切腹したといふ説もあるの
ですけれど、綱政の信仰はそれ以前からの事であり間違ひとは考へ
られません。本寺大岩寺は町中にありまして、現住の住職鈴木関道
氏は「二川宿大岩加宿の研究」を著はされた程郷土研究の熱心家で
す。この町は勿論五十三駅中の一で今に本陣址も残つてゐます。
この二川は和名抄の渥美郡大壁郷に当る地でありまして、其大岩
は岩屋から得た名を伝へられてゐますが、実は大壁から転じたもの
で、此処に大壁神明社が残つて居ります。町を東に出はずれる北側
に妙泉寺がありまして、
芭蕉句碑 が建つて居ります。句は
「あぢさゐや籔を小庭の別座敷」
といふので、建てたのは寛政十年です。土地の俳人十人許りの発
起で建てたものですが、其内に一人故人の名を並べてある事は如何
にも床しく感ぜられます。
尚此寺には永享九年在銘の鰐口があり、これには三河国野方郡牧
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