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コレクション: 愛知県豊橋市関連資料

東三河道中記 : 豊橋市及其附近案内 - 翻刻

東三河道中記 : 豊橋市及其附近案内 - ページ 106

ページ: 106

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                        二〇八 平合とあります。この野方郡は今の額田郡で「野」を「ヌ」と発音 した証拠であり、合の字は郷の充て字である事が面白い資料である と思ひを【「ま」の誤植か】す。  二川町の北半里許りの処に雲谷といふ村があり、そこは平安朝時  代の街道が通じて居ります。 普門寺   はこの村にありまして、やはり行基の開創と伝へられ 又鎌倉時代に安達藤九郎盛長が頼朝の命を受けて造営した三河七御 堂の一つといひますが、とにかく少くとも平安朝頃のものでありま せう。昔は山に拠り堂塔を構へ山内十幾坊かあつたといひますが、 度々の兵火に焼失しまして、今の堂は元禄十三年再建の茅葺四注造 り二軒で三斗が使つてあります。本尊は聖観音で弘仁以前の作と見 られ、優秀な作品ですし、又この外に国宝に指定された仏像六軀及 経筒とがあります。其国宝は一段高い処の別殿に安置され、阿弥陀 像一軀、釈迦像一軀及び四天王像四軀で、東三河の代表的な仏像で す。経筒は久寿三年在銘のもので土筒と鏡が一面附属してゐますが 其銘文に願主年代作者迄揃つてゐるのは珍らしい例でせう。それと まだ一つ寺伝では頼朝の寄附したといふ弘治二年陽鋳銘のある鉄灯 籠が一つあります。もとは非常に沢山の仏像があつたさうで、天文 廿二年この附近が兵火にかゝつたとき持ち出された仏像が小山の様 に積んであつたといひます。そして市内神宮寺の大日如来、悟真寺 内龍興院の本尊なども此寺から行つたものといふ事です。古文書に は天文十八年今川義元の寄進状を初め色々ありまして、次に申上げ る東観音寺と共に東三河の宝庫となつてゐます。此処には三州吉田 記の著者である林自見の寄附した石灯籠が一つあります。これは自                         二〇九