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しさのあまり飛んだ間違ひが起りました。それは開業して間もない
廿貳年の一月廿日に豊橋分營の兵士がこれも矢張り見物た【ママ・「に」の誤植か】來た處、
驛員に侮辱されたとかいふので、越えて廿四日貳百五拾人位の兵士
が、この驛を襲撃し手當り次第に器物を破壊し亂暴を働くので、驛
長以下悉く逃げ出したといふ椿事です。此時は兵士の方で拾六人が
處刑され落着しましたが、今に話の種となる程の騒ぎだつたと申し
ます。
處でまだ少し早いから、その邊で宿をとり腹でも作つてから緩く
り御案内致しませう。今度はお急ぎでもありませんから、四五日
がかりで豊橋市内から、附近一帯を見て頂きたいと思ひます。
岡田屋旅館【ゴチック見出し】 宿は中央の札木方面にも二三よいのがあります
が、驛前ならば交通の便もよし、代表的なのがありますから、此邊
で宿をとる事に致しませう。アノ向ふに見える岡田屋、アレがよい
でせう、サアお上り下さい。この宿はもと遠州の白須賀で、古くか
らの本陣だつたのが、鐵道開通と共に、こちらへ越して來たのです
何でも大石良雄が度々泊つた事があり、最後の東下りには記念に刻
煙草を一玉くれて行つたのが今にあるさうです。市内では一流の宿
屋で設備も整つて居り、親切で居心地がよいといはれて居ります。
豊橋の大勢【ゴチック見出し】 膳が参りましたから、喰べながら市の大勢をお話
しませう。昭和五年の國勢調査では戸数が一八、三一五、人口が九
八、五五四ありました。今都市計劃も進行中で、それに昭和七年八
月一日附近の四ヶ村を併せ、面積は六、八一七方里、人口が約拾五
萬といふ中流都市へ躍進致しました。
交通の方で申しますと、豊橋驛を中心として四方へ通じて居ります