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コレクション: 愛知県豊橋市関連資料

東三河道中記 : 豊橋市及其附近案内 - 翻刻

東三河道中記 : 豊橋市及其附近案内 - ページ 112

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                        二二〇 符に依り神戸に定められた所で、これは高倉天皇がホウソウにかゝ らせ給ふたとき中宮の藤原殖子が御平癒祈願の為め献られた御厨を 此時官符によつて神戸に改められたものといひます。その神戸に就 いての神明社もありましたが、今は老津神社と云ふのを創設しそれ に合祀されました。この老津神社は村中の小社を合祀してゐますが 其中に熊野社といふのがありまして、明治の末頃迄その社に宮座の 制度がありました。その熊野神社はその村の熊野山安養寺の支配で 熊野から移住した人達によつて祀られたものです。その安養寺は今 市内向山町へ移転しまして嵩山正宗寺の別院となつてゐます。 高縄城   は小字向田にあり、文明の頃戸田氏が西三河から来て 第一に足溜りとした処で、戸田氏が田原に移つたのはその後のこと です。城址は今城山といひ、その前方一帯も城の名をその侭に高縄 城といつてゐます。 大平寺   はその高縄城にありまして、寺伝では嘉応年間の創立 となつて居りもと真言宗であつたのを南北朝の頃大暁禅師と云ふ人 が臨済宗に改めたといひます。寺宝には高麗本の紺紙金泥の金剛般 若経があり、是には支那の至正十一年の奥書がありまして我国の正 平六年に当ります。又今から二百年許り前に後の山が崩れましたと き偶然発見した明応四年在銘の古鐘があります。古文書で一等古い のは大永八年の八月の戸田宗光田地寄進状で、次いで天文十七年の 今川義元寄進状、永禄七年蔵人家康の寄進状などがあり、殊に義元 の寄進状には目録が添へてありまして、貴重な資料となつてゐます  境内には苔むした五輪三基がありまして、戸田氏の墓といはれて ゐます。本堂は火災に遭ひ、明治になつてからの再建ですが境内は                         二二一