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二二二
相当広く整つた立派な寺です、
妙見古墳 は西方村界に近い丘の上に営まれたもので、前方後円
で然も横穴式といふ変つた形式をもつてゐます。明治初年迄は玄室
内に入ることが出来て内部は八塁【疊の誤植か】敷程あつたといひますが、其後天
井の墜落によりまして、今は入口から漸く窺知し得るだけです。羨
道部が南に向つて開口し、前方部が北に向つてゐることゝ、其基底
部に貝層のあることなど殊に興味あることゝ思ひます。此の村には
外に二三の古墳がありましたが、今は外に老津神社境内に一つ残つ
て居るに過ぎません。そしてこれは玄室の一部を残してゐるだけで
す。又岸に近い海中には古墳築造のため運んで来た巨石を取落し其
侭になつてゐるものがありますが、これは築造技術の方面から見て
面白い資料と考へます。
次は杉山村で、こゝには百々の窯址、砲台の址、長仙寺などがあ
り、又神鳳抄にある杉山御園、浜田御園、泉御園もこの村だつた
といはれてゐます。
百々窯址 は、字六連といふ処にありまして、南面した傾斜地を
利用し登り竈に築かれ全長十四尺、高さ七尺程あり、色々の遺物が
其中から発見されてゐます。これは大正十一年三月史蹟に指定され
ました。
砲台址 はこの村の太平洋に面した処にありまして、高さ凡そ
七十間位の丘上に、五間に七間位を地均しした所があるだけですが
徳川の末つ方、海岸防備の必要からこれへ大砲を据付け、外国船を
打払ふといふ田原藩の企てであつたのです。
長仙寺 は寺伝によりますと、三河守大江定基が頽廃を歎いて
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