← 前のページ
ページ 114 / 154
次のページ →
翻刻
二二四
再興したことになつてゐますが、鎌倉時代には相当栄えた寺で寺領
六百貫を寄進されてゐたといひます。慶長六年伊原備前守の検地の
とき、住職が遠州の麻訶耶寺へ行つて不在だつたので寺領が帳落と
なりましたのを、寛文四年になつて田原の戸田氏から漸く三十石を
貰つたといふ事です。当時は西三河の猿投神社と何かの関係があつ
たと見えまして、この寺の康安年間の論語、文和年間の白氏文集の
二点が現に同神社に保存されて居るといひます。
杉山の次は田原で、此処には色々のものがありますから順を追つ
て申上げませう。先づ第一が
田原城 これは明応年間に戸田宗光が築きましたもので、豊橋
二連木城の根拠地でありました。其後宗光の子の憲光、孫の政光か
ら宗光、尭光と続きましたが、この尭光は牟呂八幡社、小坂井菟足
神社を造営したことが夫々棟札に残つて居ります。天文十六年今川
義元に攻められ城は陥り一族は亡びました。それから今川氏が城代
を置き守つてゐましたが、永禄七年徳川氏が攻めてこれを取り、慶
長頃は池田輝政の支配下にありましたが、其後戸田氏の一族戸田尊
次のものとなり、寛文になると三宅氏が西三河の挙母から転封にな
つて維新当時まで続きました。尚この城につきましては、天正十五
年七月に家康が、慶長十五年二月に秀忠がこの附近に狩する為め暫
く滞在したこともあります。
現在では本丸址が残つて居りまして、此処に県社巴江神社が祀つ
てあります。文化十二年の創立で、城主三宅康和がその祖先児島高
徳と三宅康貞とを祀つたものです。以前は城址の一偶にありました
のを最近本丸址へ遷し、新たに造営されたのです。これ等を含めて
二二五