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コレクション: 愛知県豊橋市関連資料

東三河道中記 : 豊橋市及其附近案内 - 翻刻

東三河道中記 : 豊橋市及其附近案内 - ページ 116

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                        二二八 十一年清野謙次博士が大発堀されました結果、二百三十六体の人骨 及び多数の遺物を発見した処で、それ等の遺物は悉く清野博士の庫 中に納まり跡には何一つ残つてゐないといふ日本一の銘を打たれた 歴史的貝塚であります。  この外附近には古墳が七八基ありまして、多少の発見品が伝はつ  て居り、また竈址はこれから南、神戸村にかけて所々に残つてゐ  ます。それは平安朝から鎌倉時代へかけてのものと認められてゐ  ますが、この地方は上代以来竈業の盛んな地方であつた事は諸々  の遺物遺跡によつて知ることが出来ます。  田原町にあつた神領の御厨御園は吉胡、根田、田原、加治、勢谷 弥熊などで、これに隣る神戸村が三河最古の神領である渥美本神戸 の地でして、和名抄に載る渥美郷は勿論この地方でありました。 長興寺   は大久保にあつて、明応九年版の妙法蓮華経がありま す。これは田原城主戸田宗光の発願で着手され其子憲光によつて完 成されましたもので、この地方で刊行された経文はこれ以外にない やうに思ひます。 谷の口銅鐸  は此神戸村字谷の口におきまして寛政四年用水地を 築くとき、偶然発見されました。今其所在を失ひましたが、記録に よると同時に三口出たやうで、三尺四寸と三尺五分の高さのもの及 び八寸六分といふ小形なものが出て居る様子です。この内一口が今 ロンドン博物館にある由を聞きましたので、先年京都大学の梅原末 治氏が外遊の節調べて貰ひましたけれでも、それは他所発見のもの でありまして、今日では全く捜索の手懸りを失つてしまひました。 阿志神社  は田原の先の野田村にあります。文徳実録に仁寿元年                         二二九