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翻刻
二三二
上昔の事でありますから確かな事は分りません。
伊川津貝塚 はこの村の神明社から西に亘つてあります。明治三
十六年大野雲外氏が調査されたを初めとし、大正十一年には小金井
良精博士が柴田常恵氏と共に大発堀をやつて人骨二十七体其他色々
な遺物を得て居られますが、こゝから発見された有髯の土偶は殊に
有名です。その外この村には貝の浜貝塚、石神貝塚がありまして、
貝の浜貝塚は海岸波打際にあることで名高く石神貝塚は相当広い区
域に亘つてゐまして、まだ調査の余地が多分に残されてゐます。
次に福江町で色々と見るべきものもありますが、第一に申上げた
い事は間宮氏の事です。
間宮氏 は此処を根拠としてゐたもので、権太夫直綱は永禄六
年今川家を去つて徳川家に仕へ、この附近を領してゐましたが天正
六年に死にました。そこの栖了院にさゝやかな五輪が残つてゐます
其子広綱は天正十八年に家康に従つて関東に移り、其子の之等は関
ヶ原の軍功により再びこの地を領しましたが、僅が【「か」の誤植か】五年で田原の戸
田氏に譲り隠退致しました。この栖了院はこの直綱が建てた寺でそ
の開基となつてゐますが、その墓地にはこれ等一族の立派な墓が多
数並んでゐます。
芭集句碑 は町の西端潮音寺の境内にあります。これは芭蕉杜国
及び越人の俳諧三つ物が彫まれ、明治になつてからの建設です。杜
国の本名は南彦左衛門といひまして名古屋のものですが、貞享三年
故あつてこゝに配流され、保美といふ地に居て、元禄三年二月その
地に歿しました。芭蕉がこの地に来ましたのはその杜国を訪ふ為で
東海道を西へ鳴海宿まで行つて引返したものなのです。こゝで咏ん
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