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翻刻
二三四
だ三ッ物か後年句碑となつたので、
「麦はへてよき隠家や畠村」 芭蕉
「冬を盛りに椿さくなり」 越人
「ひるの空のみかむ犬の寝返りて」 野仁
と咏んで居ります。野仁は杜国の別名です。この時は暫く滞在し
て居たと見えまして伊良湖にも遊んで句が残つてゐます。
「鷹一つ見つけてうれし伊良湖岬」
の句がそれでこれは寛政五年碑に刻し其地に建てられてゐます。
今陸軍射撃場内の巨岩の上に建つてゐます。
平城貝塚 はその杜国のゐた保美にありましで【「て」の誤植か】、福江町から西南
七八町の地、その小字平城に貝塚があるのです。普通は保美貝塚と
呼ばれますが、学界へは保美平城貝塚として報告されてゐます。最
初に調査されたのは明治三十六年大野雲外氏で、同じ四十二年清野
博士がまだ学生時代に二十日も滞在して研究し、大正十一年には柴
田常恵氏と博物館の後藤守一氏が発堀し、続いて大山公爵と小金井
博士が発堀しまして十九体の人骨と多数の遺物を得られました。
私はこゝで牛の角一個を採集して居ります。我国の石器時代に牛の
ゐたかどうかは未だ明かでなかつたので、この発見は熱田高蔵貝塚
の馬骨と共に相当重要性をもつものと思ひます。
川地貝塚 はその南に当る亀山の小字川地にあります。豊島ヶ池
といひまして、もとは入海であつたと考へられる大池の傍にありま
すが、此処から大正十一年清野博士が二十五体の人骨と色々な遺物
を獲て居られます。中にも彫刻のある石冠は非常な珍品といはれて
ゐます。
二三五