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翻刻
二三八
は前申した芭蕉句碑だけですが、それも危険区域にある事とて、
いつ重砲なり爆弾なりの洗礼を受けぬ共限らず、思へば心許ない
限りです。聞く処によればこの句碑は次に申上げる伊良湖神社境
内へ移建されたと云ひますから、その心配はもうなくなつた訳で
す。
伊良湖神社 はもと伊良湖御厨に祀られた社でありませう。其創
立は明かでありませんが、古来神宮との関係が深く式年御造営毎に
撤下材を拝授して其度毎に造営する事になつて居り、又四月十四日
に行はれる御衣祭には十里二十里先からも参詣する者が多く非常な
賑ひです。
瓦場 は伊良湖と小塩津とに跨つて今も地名に残ります。東
大寺再築のとき、こゝでも瓦を焼いたもので、間々完全なものが発
見されてゐます。これは建久再建のときのもので。其巴瓦には東大
寺大仏殿瓦の七字が周囲に配されてあります。此処で焼かれました
瓦は船で安濃津に送られ、それから山越に奈良へ行つたものと研究
されてゐます。
糟谷磯丸 はこの地の生れで徳川時代に於ける特異な一大歌人で
ありました。殆んど無学文盲でして、四十歳近くになつて漸く仮名
を覚えた位ですが、非常に歌才があつて人を驚かして居ります。吉
田藩主に従つて将軍に謁した事もあり。更に芝山大納言の計ひで一
日だけの五位を授けられ、天顔を拝した事もあります。其歌は天地
の自然を咏んだ詩的のものもあり、又道歌狂歌の類もありますが、
よく味ふと愈々味が出て来て、哲学を詩化したのが磯丸の歌だとさ
へ云はれてゐます程で、実に近代の歌聖と申すべき人であらうと思
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