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翻刻
二六〇
先日私が一寸とした用事で豊橋駅に居りますと、豊川稲荷参詣の
団体がゐまして、一人が豊橋に何処か見物する処はないかと聞くと
一人が恐らく何もない処だ、町らしい町はこの駅前だけだと話して
ゐましたので私が傍から話かけて二三勧めて見ましたが格別興味も
惹かなかつたと見え其の侭帰つて行きました。尢【尤】も此の人達には趣
味と時間の余裕を持たない関係もあつたでありませうが、それにし
ても今少し外来者の足を止めるやうな設備があつてもよいと思ひま
す。旅行協会もあり観光協会もあるのですからこれは何とかしなけ
ればならぬ問題でせう。
余談はさて置き、私共としては住めば都でこれでも多少は郷土の
誇といふやうなものを持つて居ります。尢【尤】も土地自慢は大底の場合
主観的な自惚れで、客観的立場からはお笑草に過ぎない場合がよく
ありますから其のおつもりで御覧を願ひます。
土地自慢にも色々の方面がありまして、御承知のあの岩屋山上に
ある観音像も、仏法僧の鳴く鳳来寺も、或は又日本一多数の人骨を
出した吉胡貝塚も、市としては不似合な程立派な公会堂をもつ事も
自慢の種であるかも知れませんが、私は主として歴史の方面から少
し許り自惚れて見たいと思ひすす。
御承知の通り東三河は古くは穂国といひ、大化改新のとき今日い
ふ西三河を合せて三河国が出来ました。それから千余年後の今日で
も東三と西三とは言語風俗又は人情習慣の上に多少の相違が認めら
れるのでありまして、この点で伝統の力が如何に強いものであるか
を知ることが出来ると思ひます。この穂といふ名前には五穀豊穣の
意味が含まれ、農業とか養蚕について先進国であつたのであります
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