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コレクション: 愛知県豊橋市関連資料

東三河道中記 : 豊橋市及其附近案内 - 翻刻

東三河道中記 : 豊橋市及其附近案内 - ページ 14

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                         二四 すが、小坂井方面のやうに遺跡は豊富でないと思はれます。 豊橋の歴史は余り古い事は分りません。鎌倉時代以前の事は和名抄 に磯邊、高芦、多米などの郷名が見える外、伊勢神宮の神戸が天慶 弐年に置かれてゐます。これは飽海新神戸と申しまして戸数で十戸 ありましたのと、又薑御園、岩崎御園、橋良御厨、高芦御園、野依 御園と五ヶ所の名が伝はつて居るのに過ぎません。然し牟呂とか飯 村とかいふ原始的の名を伝へた処もあり、先史時代の遺跡も間々あ りますから、遼遠の古代から人間の住んでゐた事は事実と思ひます それと今一ツ、類聚三代格にある承和弐年の太政官符に渡船増加云 々とある飽海川は豊川の古名と考へられ、古来東海の官道に当つて ゐたらしく、そこへ発生した部落が神戸の設置によつて多少発展し たかと考へられますが、漸く著名になつたのは、戦国時代に入つて からの事で、永正の頃牧野古白によつて築城され、それ以来城下町 として発達したものと見なくてはなりません。夫等の遺跡も追々に 御案内する考へですが、余り古いものは市中に無く、反つて市外に 多少御目にかけるやうなものがあるかと思はれます。  食事も済みましたから、ぼつ〴〵出掛けませう。順路は私にお任  せを願つて、最初に先づ電車線路に沿うて歩いて見ませう。この  駅の出来た当時は町の片隅だつたのですが、今日では殆んど中央  になりました。道が三方に岐れるこの中央のは旧停車場通りで駅  へ出る為めに鉄道の開通、間もなく開かれた路です。左は船町線  と申し、先に申しました豊橋の豊橋へ行く路、右は新停車場線と  いはれ、大正四年開通になつたものです。こゝ三四町の間は何も  御案内するやうなものはありません。                          二五