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翻刻
二八
保の頃此附近の画家に一枚づゝ描かせましたが、この先の花園町に
鈴木三岳といふ画家があつて、同様一枚を引受けは致しましたが、
何かの都合でその代作を田原の渡邊崋山に頼みました。そこで崋山
は月に雁の絵を描いてよこしたのですけれども、其時崋山からの手
紙に、随分あしくきたなく描いたつもりだからたとへ私と疑はれて
も決して代筆の事は洩らさぬやうといつて來ました。其手紙と実物
とは厳重に保管され、今は写しが嵌めてありますが、此等は中々面
白い事と思ひます。
此処を北に向ひますと花園町で、さながら呉服町とでも申したい
位に呉服屋が軒を並べて居り豊橋一の田中屋呉服店もこの町にあ
ります。
田中屋呉服店 当主は国府町の竹本家から入つた人ですが兄弟が
多く、其兄弟の一人はこれも豊橋一の酒問屋川清商店主であり、他
の一人は素封家福谷家をついで医学博士、今一人は東北帝大に冶金
工学の権威として令名ある西沢博士、其上に竹本家は地方に聞えた
製油工場を経営して居られ、兄弟揃つてその道の成功者という訳で
す。
豊橋別院 次は程近い東本願寺派豊橋別院へ參りませう。門前に
並ぶ寺は北側が浄円寺、正淋寺、蓮泉寺で南側が仁長寺、応通寺で
す。この五ヶ寺の間を通り重層の楼門を潜ると、正面にあるのが本
堂です。明治四年に焼失しまして、之は其後の建築ですが、入母屋
流向拝で市内では代表的の大建築です。もと西竺山誓念寺と云つて
ゐましたが、後に吉田御坊と改め、更に又豊橋別院と呼ぶ事になり
ました。庭にある鐘楼は寛永弐拾壱年の建築、鐘も其年に出来たも
二九