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翻刻
三〇
のです。これと楼門とが市内で一番古い建物だと思ひますが、後世
に手が入り過ぎた為、昔の面影は余り残つてゐないやうです。鐘の
銘は本願寺の十三世宣如上人の撰文で、鋳工は宝飯郡金谷の中尾四
家です。
門前にある五ヶ寺のうち蓮泉寺と応通寺は、古い書物によると山内
にあり、他の三ヶ寺は門前にありと書き分けてありますから門の位
置が変つた事が知られます。この蓮泉寺は南朝の正平十六年八月の
建立で開祖は足助の人舟橋兵庫頭といひ、南朝の遺臣でありますが
初め碧海郡の上宮寺で僧となり、名を慶信と改め、後故郷に近い下
山と云ふ処に正行寺を建て、更にこちらへ移りました。正淋寺は永
正六年に川毛といひまして、今の城跡の辺に建ちました。開祖は玄
栄といふ人です、少し遅れて、大永弐年に応通寺が建ちました。
これは初め無量寿寺といつて、開祖の源明は碧海郡平坂、無量寿寺
の了源の三男でした。それと殆んど同じ頃浄円寺も建つたのですが
開祖は了証といつて、山科本願寺の第九世実如上人の弟子で、こち
らへ来ました処、頗る武道に達し城主の知遇を得て、一寺を建立し
て貰つたといひます。以上四ヶ寺は本坊と共に川毛にあつたのを天
正弐年に城地拡張の必要から今の地に移転させられたといひます丁
度其頃仁長寺も都合で宝飯郡伊奈から移転して来て、今見るやうに
五ヶ寺になつたのだと言ひます。本坊の方はこの移転地が西竺寺と
云ふ廃寺の跡であつたとか、又は本坊そのものゝ前身を西竺寺と呼
んだとか申しますが明らかでありません。その西竺寺のものとして
文治五年の鐘が伝はつてゐたのを火災で失つたと伝へてをります。
本尊は何れも阿弥陀如来ですが、余り古いのはありません。仁長寺
三一