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翻刻
三二
の寛永十七年、蓮泉寺の慶安三年位が古い処で、建築としては浄円
寺の庫裡が宝永頃で一等古く、他は御覧の通り何れも新しいもので
す。こゝで申し上げたいのは浄円寺に了願と云ふ僧がゐて文化年間
に経蔵を建て明本の一切経を備へ付けた事と、最近蓮泉寺の舟橋水
哉氏が三舟文庫を建てられた事で、その了願は非凡の僧でありまし
たし、水哉氏は元大谷大学教授、今は退いて居られます、原始仏教
史の権威で著書も沢山あり、鉄筋コンクリートの文庫と共に、断然
山内に異彩を放つて居られます。
次は今来た道を四ッ角まで戻りまして、南へ入りますと、左側に
白山比咩神社 があります。創立は保延弐年の六月、祭神は伊弉
諾尊外一柱であります。もと札木町に魚町の安海熊野神社と一所に
あつたのを天正十八年城主の池田輝政が城を城張するに当つてここ
へ遷したものと云ひます。この社では寛文五年に神輿が出来てから
七月十七、八日に花祭りと云ふのが行はれましたが今は廃絶致しま
した。この附近は新銭町といつて、寛永十四年に幕府の命を受けて
新銭を鋳造した事から起きた名だと申します。吉川駒曳銭といふの
は其時数取りに造られた絵銭です。
この社の神職は鈴木氏で、土佐守を名乗つた梁満呂は天明四年に本
居宣長の門に入り、豊橋最初の国学者でした。其子の、陸奥守を名
乗つた重野、是も寛政元年に同様宣長の門に入った人で、郷土人と
して相当敬意を払ふべき人物です。墓は二人共に中世古町花谷院に
あります。
道の都合で今少し南へ参りませう。小さい川が流れてゐます。
牟呂用水路 俗に新川といつて、この先の神野神田へ引く為に明
三三