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三四
治廿七年に完成した水路で、水源は豊川の上流にありまして、一鍬
田と云ふ処に取入口を設け、延長は五里にも達しまして、今日では
この地方一帯の灌漑に用ひられ、非常な利益を与へてゐます。
諏訪神社 水路の橋を渡つて少し行つた処の左側にあります。こ
の社の御立は永仁元年といはれてゐますが詳しい事は分りません。
祭神は建御名方尊となつて居り、以前祭の時は先に寄りました白山
比咩神社の神輿はここまで渡御せられたといふ事です。
首切地蔵 この附近一帯を中柴町といひますが、この辺にもと首
切地蔵といふのがありました。寺名は蓬沢山桂徳寺とかいつて地蔵
が祀つてあつたのです。いつの頃からですか上伝馬町藤三郎といふ
者の妻が、二人の子供を失つたのを悲しみ、毎夜此処を通つては小
池の潮音寺の観音様へお参りを続けてゐました。処が藤三郎は毎夜
妻が出て行くのを密夫でもあるのではないかと疑ひ、そつと跡をつ
けて行くと、果して二人連で行きます。忽ち切りつけました処、そ
れは地蔵様が妻を送つてくれたので、其時首を切落されて以来、首
切地蔵の名がついたと申します。場所はどの辺だつたかよく分りま
せん。少し行きますと今度は右へ曲ります。この道は以前渥美郡へ
の唯一の往還路でしたが、新道が開けてからすつかり淋しくなりま
した。右側は素盞雄尊をお祭りした
松山神社 です。もと渥美順慶といふものが創立したといひます
が、中絶してゐたのが明治三年再興されたのです。
もう少し行きますと鉄道線路で、これに沿つて東に行きますと川
があります。柳生川といひますが、この下流は耕地整理に伴つて
運河が作られ、河口の牟呂から水運の便が得られるやうになりま
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