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翻刻
三六
したから物資の集散に非常に役立つだらうと期待されてゐます。
この南が小池町で、その向ふに見える台地には、もと第十五師団
の兵営が置かれましたが、軍縮で廃止になり、今は教導学校、兵
器支廠などあるに過ぎません。線路を越して向ふの樹立まで行き
ませう。之が先程申しました藤三郎の女房の通つたといふ
潮音寺 で俗に潮満ちの観音様といはれてゐます。曹洞宗で市
内龍拈寺の末寺ですが、行基の創立といひ鎌倉時代には相当立派な
寺だつたと申します。其後吉田城主の池田輝政や小笠原氏などの庇
護を受けた事もあり、御覧の通り仁王門、本堂、観音堂などがあり
ます。有名な観音様は、一尺五寸許りの木彫で背に慶長廿一年三月
吉日とありますから其頃のものでせう。前立の出来はよくありませ
んが時代はずつと古く、堂は寛文年間の建築です。三間四面の入母
屋造りへ流れ向拝がつき三ッ斗組が使はれ、また斗束には実肘【月+斗】木が
使つてあります。仁王門は近頃のものですけれども、仁王尊には元
禄拾弐年九月吉日京都寺町通り三条大仏師齋藤左近法橋浄慶作と銘
があります。
これから先き、まだ〴〵御覧を願ふ処が沢山ありますが道順の都
合で引返します。この大路が先に通りました松山町の繁華を奪つ
た新道です。どうも豊橋の道は真直なのが少く、昔城下町時代に
は敵に見透かされなくてよかつたかも知れませんが今日それを踏
襲する必要はないと思ひます。この道なども出来た当時などノラ
クラ街道などといはれたものです
松林寺 左手に大きな建物が見えませう。これが松林寺で豊橋
では一等古い歴史を持つた寺なのです。御覧の通り最新式の建物で
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