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三八
一寸公会堂といふ感じがします。建築は大体信州善光寺のそれを取
つたのではないかと思ひます。横手に千体骨地蔵といふのが祀つて
ありますが、これがなか〳〵面白い由来を持つて居るのです。
寺伝によりますと、鎌倉の執権北条経時の時代に、筑紫の大守に
原田次郎種猶といふ者がありました。鎌倉に出仕した時、高橋修
理大夫といふ者の為に讒言せられて、遂に永牢入りとなり、十三
年間も捉はれの身となつてゐました。その種猶の一子に花若と云
ふ者がありまして、父が国を出る時はまだ母の胎内でしたが、何
とかして父を救ひ出さうと思ひ、十三歳になると家来の藤王丸を
連れて鎌倉へ出で、先づ由比ヶ浜に父の戦場を弔ひ、枯骨を集め
てそれで千体の地蔵尊を作りました。そして之を厨子に入れて藤
王丸に負はせ、鎌倉中を托鉢して廻りました。処が其花若は頗る
美しい児でしたので、地蔵様の化身だといふ評判が立ちました。
これを時の執権北条時宗が聞き花若を召出して会つて見ました。
色々法談などをしました揚句花若は牢獄に居る人達を見る事を乞
ひました。許されて巡つて見ると土牢に居る一人が、自分の恋慕
ふ父でありましたので、色々執権に話し漸く赦免を得、足腰も立
たぬ程衰弱してゐる父種猶を介抱をしつゝ国へ帰へる途中、こゝ
迄来て種猶は遂に死んで了つたのです。そこで花若は此処に寺を
立てゝ千体骨地蔵を祀り、父の菩堤を弔つたのだと言ひます。
尚開山の春岳栄陽尼は花若の母だという事です。
この門前に呉竹の井といふのがありますが、これは羽田の栄川の泉
と共に豊橋の名水として好事家の間に賞翫され、この名は山田宗遍
がつけたといふ事です。今は両方共殆んど湧出が止まり、其名許り
三九