← 前のページ
ページ 22 / 154
次のページ →
翻刻
四〇
となつたのは誠に惜しい事と思ひます。
これから北へ向つて歩きませう。東側にあるのが謂信寺で、大正
八年に渥美郡野田村かち【「ら」の誤植か】移転して来たものです。少し先の左側に
ある建物は武徳殿でありまして、名古屋武徳殿の支部となつてゐ
ます。又新川を渡ると左側に小さいお宮がありませう、天白稲荷
社といつて魚町安海熊野神社の末社でありましたのを天文の頃此
処に祭つたといひます。次は俗に野口の神明樣といふ
神明社 で、これは以前この辺を野口といひ、社家も野口氏だ
つたからですが、今は神明町といひます。創立は天正十一年ださう
で、勿論天照大神をお祀りしてあります。豊橋地方は昔伊勢神宮御
領が多かつた関係で神明社が多く、外にもまた数社あります。こゝ
にはキリシタン遺物としてマリアを刻んだ灯籠があり、私が大阪毎
日に発表してから見に来られる方もあるさうです。来歴など調べて
見ましたが一向に分りません。
このキリシタン灯籠は御覧の通り竿が十字架を象つたのが特徴で
此地方に沢山ありますが、本当の潜伏キリシタン遺物と見られる
やうな古いのは、これとすぐ近くの森富蔵氏方にあるのだけで之
には像はあるが文字がなく、森氏のは像と文字とある非常に立派
なものです。今度は向側に移りますと
神宮寺 があります。山号を白雲山といひ天台宗で比叡山延暦
寺の末寺となつてゐます。維新前は江戸東叡山寛永寺の直末で別に
寿命院といふ称号を貰つて居たさうです。創立は慶長元年ですが、
寺の言ひ伝へではもと此処に長禅寺といふ寺がありまして荒廃して
ゐましたが、これを開山の重心僧都が再興したといひます。本堂は
四一