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翻刻
四二
貞享二年の再建にかゝり、四注造りに舟肘木が使つてあります。隣
にある護摩堂、これは三間四面の入母屋造り流れ向拝の妻入で三斗
の出組が使つてあります。寛政頃の建築でせうが、総体が欅造りに
縁板は楠といふ豊橋としてはよい建物です。鐘は貞享二年の鋳造で
本堂と一所に出来たもの、山門は元禄十四年に久世山和守が建てた
ものです。本尊は大日如来の座像で三尺ばかりの木彫で、寺伝では
雲谷の普門寺にあつたものといひ、今は後世の補修によつて時代な
ぞ分らなくなりました。或は鎌倉末期か室町初期ではないかとの説
もあります。護摩堂の不動さまは衣服の盛上げ模様といひ、玉眼の
ある点から室町初期のものであらうと思はれます。これは寺伝では
寛延二年に碧海郡刈谷の嵩福寺から譲り受けたものといつて居りま
すが、智証大師の御作といふはどうでせうか、維新前は除地で三十
一石六斗を貰つてゐました。
此処の墓地に飯野柏山の墓があります。太宰春台の門人で吉田に於
ける一方の重鎮でしたが、寛政七年に七十九歳で没して居ります。
次は少し東へ参りまして南側にあるのが
西光寺 で創立は慶長六年、本尊はもと神宮寺にあつたといふ
阿弥陀如来です。維新前は黒印、三石持つてゐました。近頃住職の
発案により十二月に酉の市を開き、相当な賑ひをみせて居りまして
昔の情緒に乏しい豊橋としてはよい趣向だと思ひます。
次は境内を通りぬけて
龍拈寺 へ参りませう。この門前にある土塀の一廓、これは寺
の開基で、初めて吉田城を築いた牧野古白の墓だといふ事になつて
居ります。こちらが山門で元禄六年の建築ですが切妻破風造りで三
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