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翻刻
四四
ツ斗が使つてあり、比較的釣合のとれた建物と云へませう。裏手に
ある地蔵様、これは豊橋での二大露仏で、正徳六年に出来て居りま
す。サア本堂の方へ参りませう。右手の鐘楼は新らしいものですが
鐘は元禄四年に出来たもの、左手は羅漢堂で、正面の本堂は宝暦十
一年の建築にかゝり、十一間に九面の入母屋造り本瓦葺といふ堂々
たるものです。この羅漢堂の裏にある旧鐘楼は、二間一面の四注造
り慶文元年の建築ですから、豊橋としては古い建物だと云へませう
匂欄の擬宝珠に銘文があります。この鐘楼は新しいのが出来て不用
になつたのを、識者の尽力によつて保存される事になつたのです。
本尊は十一面観音で五寸許りの木像ですが、後世の補修ですつかり
駄目になつてしまひました。鎌倉時代か或はそれよりも古いもので
はないかといふ説もあります。大体この寺は大永の初めに牧野伝左
衛門成三が父古白の菩提を弔ふ為に建てた事になつてゐますけれど
も本尊がそれ程古いものとすると、その以前に小さな寺があつて、
古白はそれへ葬られ、後に菩提の為に寺を拡張したといふ事になる
かも知れません。尚境内には日信院、悟慶院、盛涼院、長養院と塔
頭が四ヶ寺あつて、中にも悟慶院と盛涼院の本尊はほんの四五寸の
ものですが室町時代の作で比較的優秀なものと思ひます。宝物には
牧野古白内室の画像、松平清康の妻華陽夫人の画像など珍重すべき
ものがあり、古文書の類も余程保存されてゐます。維新前は朱印二
十五石と、外に隠居寺広徳寺分二十石とを貰ひ、相当格式のあつた
寺で、墓地には元和から寛永頃の碑が沢山あります。変つた墓では
あの地蔵さまの裏手にある観世左近太夫の墓、これは昔此地にゐて
死んだといふ事で、御覧のとほり浄光院殿王庵全宗居土、観世左近
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