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コレクション: 愛知県豊橋市関連資料

東三河道中記 : 豊橋市及其附近案内 - 翻刻

東三河道中記 : 豊橋市及其附近案内 - ページ 25

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                         四六 太夫墓、天正五年丁丑正月廿九日としてあります。それから今一ッ は日信院の方にある五輪塔で、地輪に月峰桂旭居士、寛永十二年七 月廿一日とあります。これは其年朝鮮からきた使節一行のもので此 地に病没したのを葬つたのですが、これに就いては国王から礼状も 来て居るさうです。又本堂西の墓地には越後流の軍学者であつた関 屋一勲の墓があります。これは元禄から安永へかけての人です。 この墓地には御覧の通り大楠が三本並んで居ります。あの中央のは 周囲が十八尺、北のが十五尺、南のが十三尺ありまして、これが市 中最大の木です。各方面を実測してみましたが、市街地の事ですか ら切られたり枯れたりで、十尺以上のものは殆んど指を折る程しか ありません。  今度は西の通用門を出ませう。此通りが吉屋町で、以前は元鍛冶  町といひました。これは古白が築城のとき宝飯郡牛久保から鍛冶  職のものを連れて来て八町辺に置いのを、池田輝政が城地を拡張  するときに此処へ移し、其後又移したのが今の鍛冶町で、それに  対し此処を元鍛冶町といつたのです。又先程の電車道へ出ました  北へ二ッ目の十字路のところが元大手門のあつた処で、これから  が城内でした。正面の建物が市の公会堂で昭和六年の建築です。  丁度昼になりましたから、こゝの食堂で食事をしながらお話致し  ませう。此敷地になつて居る処は、徳川時代に藩校の時習館が置  かれた処でした。 時習館   は宝暦二年藩主松平信復が創立されまして、享和三年 に一度拡張があり、明治維新に至つたものです。この中に西岡翠園 の建てた梅花文庫といふのもありました。専ら藩の子弟を教育した                          四七