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翻刻
五四
どがあり、これ等は先年喜田貞吉博士が京都帝大に居られる頃見に
来られ、雑誌歴史地理へ発表されたことがありました。この祭りに
露天で商ふ薙刀と鬼の持つ鐘木とは土俗研究者の間に喜ばれてゐる
ものです。尚本社に伝はる神楽歌は別項に載せて御覧に入れる事に
致します。社前を東へ抜けると北が練兵場で
神武天皇御銅像 が見えませう。これは明治三十年に日清戦争の
紀念に三遠駿豆四ヶ国の人達によつて建られたもので、御像は岡崎
雪声氏の作です。以前は東八町の裏通りにありましたが後、こゝら
へ移したのです。此戦役に戦病死したものの名を刻んだ碑も同時に
建られましたがこれは陸軍墓地へ移されました。
この御銅像の前方地点が去る昭和二年十一月、今上陛下の行幸を仰
ぎました際御親閲を賜つた処で、この光栄を紀念する為、其後毎年
ここで紀念式が挙げられます。
これからもとの電車道まで戻り、少し参りますと
大松 が北側に見えませう。この松は地上三尺位の処で廻り
が一丈からありますが、それより横に二間許り這つて枝を出して居
ります。相当年数を経たものと思はれ、今川義元の鎧掛松だといふ
伝説もありますし、以前に居たここの主人が女中をこの松に吊して
なぶり殺しにしたので其亡霊が残つて祀りを欠かすと崇【「祟」の誤植か】るなどとい
ふ話も残つてゐます。この東の木立が
八幡社 です。この社は秋葉神社と合併されて居りますが、以
前は両社共今練兵場になつて居る処にありましたが、明治十七年秋
葉社はここへ、八幡社は中八町へ越したのを、明治四十三年更に合
併したのです。この秋葉神社は正徳三年に大河内氏が下総の古河に
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