← 前のページ
ページ 30 / 154
次のページ →
翻刻
五六
建てましたのを、其翌年移封せられると共にこちらに移し、享保十
四年浜松へ、寛延三年又こちらへと城主と共に度々移建され明治に
なつて又此地に移されたのですから前後四回も移転してゐます。そ
れも其都度社殿は勿論水盤や石灯籠の類まで運んだのですから驚き
ます。この少し東に左へ曲る道がありませう。
野牛門 といふがここにありました。池田輝政が長篠城から移
して建たものださうで刀痕や鉄砲玉の跡があつたといひますが惜い
事に取毀されて仕舞ひました。この門には藩政時代に目安箱をかけ
人民の訴へを受付ける事になつてゐました。
この北の方に明治廿一年に開設された聯隊区司令部と市の小公園
があります。その小公園は明治卅年に置かれた旅団司令部が大正
十四年に第十五師団と共に廃止され空地になつてゐたのを市が譲
り受けたものです。別に見る程のものもありませんのでもつと東
へ参ります。四ッ角を越して次の左へ通る道、これが八名郡へ行
く別所街道でここが起点です。これからこの道を行つて二三御案
内を致しませう。この突当りが飽海町で、和名抄以来の郷名がこ
の小区域に残つて居るのです。
青龍寺 とい寺がこの裏手にあります。古義真言宗で本尊は不
動明王、大きな寺ではありませんが以前の住職で古道法印といふの
が頗る和歌の道に長じて居りました。近頃この寺から宝船を出しま
すが附近に類がありませんので喜ばれてゐます。東へ新川を渡ると
大蓮寺 が左側にあります。道路が出来て境内を両断された形
ですが。この寺は元中六年の創立といはれ、開山は覚阿和尚といつ
て真言宗だつたといひますが今は浄土宗で、本尊の阿弥陀如来は木
五七