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コレクション: 愛知県豊橋市関連資料

東三河道中記 : 豊橋市及其附近案内 - 翻刻

東三河道中記 : 豊橋市及其附近案内 - ページ 31

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                         五八 像で高さ二尺八寸許りの座像ですが室町時代の作でありませう。寺 伝ではもと八名郡石巻村屏風岩にあつた廃寺のを移したものといひ ます。こゝから東の高所に見える森は臨済寺ですが帰り途による事 として其下を通り田中の神明社へ参ります。 郷社神明社  は伊勢神宮の御領、薑御厨に祀つたものといはれ、 創立は古いでせうが余り古いものは残つてゐません。天文廿二年戸 田宣光の棟札が一等古く、慶長九年と、元和二年とのがそれに続い てゐます。この附近は古名を薑といつたらしく思はれますが、和名 抄にはありません。今大神宮に献じた薑蔵の跡といふものが近くに ありますが、真偽は保証の限りでありません。其後二連木といふ名 で呼ばれたこの地は楡の木があつたからともいひます。社前から西 を見ますと、田の中に小山があります。 東田古墳  といふのがこれで、以前は経塚だといふ説もありまし たがそれは考古学的知識のないものがいふた事で、御覧の通り立派 な前方後円墳で、地形の関係で主軸が東西になつて居る事がやゝ変 つてゐます。このくびれの具合や、後円部の傾面などさながら壱千 数百年前の面影を見る事が出来ませう。明治維新前まで後円部の上 に一小社がありました。明治七年その焼跡を発堀して仿製変形鳥文 鏡と鉄刀片を発見し、今に保存されてゐますが、かやうな低地に古 墳が築造された事はこの辺古代の地形に就いて、大いに考へねばな らぬ問題だと思ひます。  こゝから東の台地へ上ると北に城址があります。 二連木城址  といひます。この城は明応の頃渥美郡田原城にゐた 戸田宗光が築城したもので、宗光は子の憲光に田原城を守らせ、自                          五九