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翻刻
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分はこの城にゐましたが、宗光の死後は憲光が続いて居りました。
其後この城は暫らく放棄されてゐましたが、天文七年になつて憲光
の曽孫宣光が再興して三代程ゐましたが、天正十八年関東に移ると
共に廃城となりました。
この芝生で一服致しませう。あの高い処の紀念碑は大正四年の御
即位紀念に愛知県が建てたもので、其裏手の方など昔の有様が残
つて居るやうに思ひます。
これから東は全くの村落部ですが市の区域はまだ東へ一里もあるの
です。大して見るものもありませんから、ざつとこゝで御話し致し
ます。前方左手に見える突起した山は石巻山で、その中腹と山麓に
延喜式内の石巻神社があります。その右手の小山の上に見えるのが
市の水道配水池で、附近一帯を屏風岩といひ、一寸とした遊園地に
なつてゐます。その南の裙を少し行きますと赤岩で
法音寺 といふ真言宗の寺があります。こゝの本尊愛染明王像
は昭和三年に国宝に指定されました。高さ三尺三寸の木像で宝瓶上
に安座され、鎌倉末期の作ですが、その頭上獅子冠の中に多数の小
木像が納めてあることは面白いと思ひます。境内も広く今遊園地と
しての計画が立てられ、着々進行中ですから、将来は市の行楽地と
して一名所となりませう。寺は衰退してゐますけれども、山門だけ
は立派なのが残つてゐます。これは建久の頃三河の守護代であつた
安達藤九郎盛長が頼朝の命を受けて建営したといふ三河七御堂の一
つです。寺伝や寺宝については略しまして、次はその南に当る岩崎
町に
鞍掛神社 といふのがあります。以前は鞍馬大明神といひました
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