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翻刻
六二
のを源頼朝が上洛の際此附近に休息し、この社に鞍を奉納したので
鞍掛神社と呼ぶやうになつたといひます。これは地名の説明伝説で
ありませうが、然しこの地が鎌倉時代或はそれ以前の交通路であつ
た事は事実のやうで、此社には天正十八年以来の棟札が二十枚も保
存されてゐます。尚其社から数町東の道添ひに頼朝公駒止桜といふ
のがあります。本幹が枯れて新芽が成長してゐますが、ざつと大き
いのが四本小さいのが五本で、普通の山桜と思はれます。頼朝が上
洛のときこの附近で軍馬を止め、馬をこの木に繋いだといふのです
又数町東の畑地の中に
戸田宣光墓 があります。一廓を土塁で仕切り一基の石碑が建つ
て居りますが、これは二連木城を再興した戸田丹波守宣光の旧蹟を
紀念するために、その子孫の信州松本城主丹波守光則が、嘉永二年
に建てたものです。其向ふの部落が岩崎町で、天文八年創立と伝へ
る龍岩院と日吉神社とがあります。此日吉神社は神亀四年に僧行基
が建てたといふ社伝があり。其後建保三年に再興し、天文二年兵火
に焼けたといふ記録もあるさうです、現にある棟札は天文十七年の
を初め二三あります。其社の境内に古墳が一つあります。横穴式の
至つて小さい、半ば破壊されたものですが、この式では市内唯一の
ものとして保護されてゐます。
古墳 この岩崎町の北が多米町で、その多米町から岩崎を経
て南の方高師方面にかけて古墳が頗る多く、それも殆んど破壊され
てゐますけれども、探索したらまだ多少残つてゐるだらうと思ひま
す。何分にも規模が小さく、塚として地表に現はれてゐないので、
工事などの際に偶然発見されるやうな訳で、その遺構の調査どころ
六三