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翻刻
六四
か遺物さへ行衛が分らないのですから、誠に遺憾な事だと申さねば
なりません。
徳合長者 の伝説はこの多米町に残つてゐます。この長者は敵に
攻られて水の手を絶たれた時白米で馬を洗ふ真似をして敵をあざむ
いたといふ、諸国によくある馬洗伝説ですが、古い街道に沿ふた地
ではあり駅長の居た処とも見られます。この地は和名抄にある多米
郷で其頃の範囲は豊橋市の東半部であつたやうに思はれます。
船形山 は其南一帯にそびえた山でありまして、頂上が豊橋市
の境界です。今川氏の時代には城塁があり、其辺一帯は度々兵火の
洗礼を受けてゐます。それを向ふに下つた処に有名な雲谷の普門寺
があります。これは路順の都合で二川町の方から参る事に致します
東方一帯はざつとこんな程度で、次はこのすぐ南にあつてこの城
と最も関係の深い全久院へ参ります。
全久院 この寺は大永三年に、戸田弾正忠即ち二連木城を再興
した憲光が父宗光の菩提を弔ふために創立したもので、全久とは宣
光の法名です。元禄元年及永禄五年の今川親子の寄進状から、続い
て徳川氏代々の朱印状もあり、其外古文書では道元禅師筆の聖法眼
蔵の真本といふ国宝級のものや、天文廿四年と弘治三年に光国禅師
の書いた仏書などが残つてゐます。これについて一場の美談は、こ
の戸田氏が後に信州松本に移り、そこにも全久院と云ふ寺を建てま
した。つまり全久院が二つあつて、寺領など共通してゐたのではな
いかと思ひますが、明治維新の際その松本の全久院が廃される事に
なりまして、前申しました聖法眼蔵や光国禅師筆の仏書、或は代々
の朱印状、この朱印状は大抵写したものですが、こゝのは全部が正
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