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翻刻
六八
陸軍墓地 で日清、日露戦役に忠死された人達を葬つてあります
左手一帯を八雲ヶ岡といひ、出雲大社教分院や、もと城内にあつた
稲荷社、それから楠公祠、乃木祠、豊城神社などがあります。
楠公祠 は先に一寸申しましたやうに、明治元年に小野湖山が
羽田八幡社の祠官であつた国学者の羽田野敬雄等と謀つて、西八町
の邸内に祀りましたのが最初で、その五年に湖山は東京へ移住する
事になり、羽田野翁が自分の邸へ移し維持の任に当つたのですが、
十五年には翁も亦没し、祭祀が絶へましたのでこの北にある神葬墓
地へ移し、後此処へ迎へてお祀りする事になつたのです。前にある
碑には湖山の子正弘が建設の経過を書いて居り、「非理法権天の旗
印」は後人が備へたものです。何分法規上の神社でありませんから
どうとかして維持の出来るやうに致したいと思ひます。お隣の
豊城神社 には最後まで城主でありました大河内家の遠祖源三位
頼政卿と松平信綱とが祀つてあります。初め松平信綱の子信輝が元
禄七年に下総の古河に建て、信輝の子信祝が正徳二年吉田移封と共
に移して城中二の丸に祀りましたが、廃藩後度々其地をかへ、最後
に此処へ祀られる事になりまた。前の池を距てゝ東海道が通じ、寺
が見えます。
願成寺 といひまして真宗高田派、大永二年の創立といひます
が、もとは市内指笠町にありましたのを明治の末に移したのです。
以前はこゝに善明寺といふ寺があり、其境内に十王堂がありました
ので瓦町の十王と呼ばれたものですが、寺が他方に移転すると同時
にこの十王堂は大蓮寺へ移され、その跡へ今の寺が来たのです。前
の坂を東へ少し上つた処にあるのが
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