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コレクション: 愛知県豊橋市関連資料

東三河道中記 : 豊橋市及其附近案内 - 翻刻

東三河道中記 : 豊橋市及其附近案内 - ページ 36

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                         六八 陸軍墓地  で日清、日露戦役に忠死された人達を葬つてあります 左手一帯を八雲ヶ岡といひ、出雲大社教分院や、もと城内にあつた 稲荷社、それから楠公祠、乃木祠、豊城神社などがあります。 楠公祠   は先に一寸申しましたやうに、明治元年に小野湖山が 羽田八幡社の祠官であつた国学者の羽田野敬雄等と謀つて、西八町 の邸内に祀りましたのが最初で、その五年に湖山は東京へ移住する 事になり、羽田野翁が自分の邸へ移し維持の任に当つたのですが、 十五年には翁も亦没し、祭祀が絶へましたのでこの北にある神葬墓 地へ移し、後此処へ迎へてお祀りする事になつたのです。前にある 碑には湖山の子正弘が建設の経過を書いて居り、「非理法権天の旗 印」は後人が備へたものです。何分法規上の神社でありませんから どうとかして維持の出来るやうに致したいと思ひます。お隣の 豊城神社  には最後まで城主でありました大河内家の遠祖源三位 頼政卿と松平信綱とが祀つてあります。初め松平信綱の子信輝が元 禄七年に下総の古河に建て、信輝の子信祝が正徳二年吉田移封と共 に移して城中二の丸に祀りましたが、廃藩後度々其地をかへ、最後 に此処へ祀られる事になりまた。前の池を距てゝ東海道が通じ、寺 が見えます。 願成寺   といひまして真宗高田派、大永二年の創立といひます が、もとは市内指笠町にありましたのを明治の末に移したのです。 以前はこゝに善明寺といふ寺があり、其境内に十王堂がありました ので瓦町の十王と呼ばれたものですが、寺が他方に移転すると同時 にこの十王堂は大蓮寺へ移され、その跡へ今の寺が来たのです。前 の坂を東へ少し上つた処にあるのが                          六九