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翻刻
七八
野商店は先代が士族から転向して今日の盛大を致し、杉本屋の商標
久木は杉の文字を二分したといはれるが奈良時代の用紙に久木紙と
いうのがあつたのも面白く、山サ商店の竹輪、山安商店の海苔は郷
土の名産として広く世間から認められて居ります。
妙円寺 は熊野神社のすぐ裏手にありますから御案内しませう
これは顕本法華宗で、京都妙満寺の末寺ですが、城主池田輝政が文
録元年に創立したものです。此輝政は遠州敷知郡古美の妙立寺、日
円上人を深く信仰し時々招いて教を聞き、又二人の子供の教育を頼
んだ程でした。日円は古美から乗馬で吉田城へ通はれたさうで、其
休憩所といふ意味で建てたのがこの寺だといふ事です。それも初め
は妙立寺と申しましたが、慶長五年に輝政は姫路へ移封されて、そ
ちらへ更に妙立寺を建て日円を迎へたといひます。其後元禄十二年
に姫路との同名を避けて、妙立寺は日円の名から妙円寺と改めたと
いひますが、或は其以前に熊野神社の社僧寺清水寺が此処にあつて
清水町といふ名はそれから来たのではないかと思ひます。本堂は御
覧の通り四注造りで向拝があり、宝暦頃の再建といふ事です。本堂
の隣の入母屋造りは番神堂だつたのですがいまは座敷に使はれてゐ
ます。宝物には日蓮、日経、日円等の曼陀羅其他二三あります。鐘
は明和頃のもの、庭にある紀念碑は時習館の教授であつた大田晴斉
ので、後に教を受けた人達が建てたものです。晴斉の父が晴軒、そ
の父錦城、三代続いた有名な漢学者でありまして、墓地にその晴軒
と晴斉の碑があります。門前にある法華塔はもと瓦町にあつたさう
ですが、明治天皇様が御通りの節御目障りだといふので此処へ持つ
て来たのだと云ふことです。
七九