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翻刻
八二
屋と呼んで区別してゐたのです。此等のものが宿駅の行政に当つて
来たものと見えます。この町のかぎやは市内一流の薬店で、先代が
至つて風流の道に詳しく数々の名品を所蔵されますが中にも山田宗
偏自刻の阿弥陀木像は有名なもので、其他宗偏の足跡は市内の処々
に残つて居ります。
これから西の方へ参ります。この四ッ角を三四町四方が豊橋の心
臓部で、其血液に当るものは何といつても繭糸業ですが、経済界
の変動につれ時々貧血症状を起すのは困つたものです。
四ッ角を北に参ります。左にあるのが豊橋の三大寺の
悟真寺 です。浄土宗で初めは浄業院といひました。開基は善
忠上人で貞治五年の創立ださうです。もとは城の辺にあつたのを永
正二年、牧野古白が築城の際此処に移したもので、塔頭がすべて十
二ヶ寺門前に並んで居ります。御覧の通り中門は入母屋造り唐破風
で、扇棰三斗組といふ処は豊橋としては立派な建築です。文化四五
年頃の建築ださうで、正面の本堂は元禄七年に出来て居りますが、
入母屋造り二重軒で本瓦葺である点など立派なものです。本尊の阿
弥陀仏は、享保六年京都に於て誓願寺のを型にして作つたといひま
すが、其胎内に弥陀三尊が納まつてゐます。恵心僧都の作といはれ
中央弥陀が一尺五寸、前立の観音、勢至は各八寸あります。この寺
は明治十一年十月、明治天皇様の行在所となつた光栄を荷つて居り
それと明治元年に三河裁判所を此処に置かれたといふ事が寺として
は変つた歴史です。まだ昔この寺で造つた納豆を御所へ献じ御咏を
頂いて、それ以来御咏に因んで八ッ橋納豆と名づけたといひます。
宝物は色々ありまして、明治天皇様の御内覧に供した二十何点かの
八三