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翻刻
八四
内、応永か其少し後に出来たと思はれる開基の画像など実に立派な
ものです。前庭にある弥陀の濡仏は豊橋最大のもので、これは元文
五年に京都の大仏師西村左近が作つたもの、其由来は元文元年に百
万遍講を結び、講員が毎月三文づゝを積立てこれを造つたのであり
まして、その講は現在まで続いて居ります。向ふの銀杏の根本にあ
る小さい墓、これはこの地方では相当人に知られた俳人、佐野逢宇
の墓で
「梅に残り柳にへりし寒さかな」
とあります。此前昭和五年石巻山上へ句碑の立派なのが建ちました
「神山や水もぬるまず岩ばしる」
といふのです。こちらの水盤には意亦浄とありませう、これは大国
隆正が書いたもので、この隆正は維新前復古神道の急先鋒として活
躍した頃当地の羽田野敬雄を訪ひ佐野逢宇へ身を寄せてゐた事があ
りますが、これは其時に書いたものでせうが、文句とまた彼が仏教
嫌ひであつた点から考へますと、寺のために書いたかどうか、これ
は疑問です。墓地は南と北の二ヶ所にありまして、其北の墓地には
国学者中山美石の墓があります。 美石は本居大平の門人で、それに
一宮砥鹿神社の草鹿砥宣隆神主が撰文し、藩の家老和田元長が書い
て居り、何れも当代一流の人物である処に美石の人物が偲ばれます
南の墓にはこの美石の孫に当る中山繁樹の墓があり、又市内最古の
石碑、といつても漸く慶長五年ですが、それがこの墓地にあります
その墓地に続いた観音寺には、これは墓ではありませんが、法眼是
心軒一露の碑があります。
「寒風も吹くな柳のみどりをば」
八五